棋王戦挑戦者に久保六段

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朝から書くのは久しぶりかも?
昨日の1/12の挑戦者決定戦の結果、久保利明六段が郷田八段を破り棋王戦の挑戦者になった。

久保六段が関西から、関東に移籍してからもう何年になるだろうか?
たぶん5年ぐらいだろうと思う。
移籍する直前までは研究会で教えてあげた。
(当時は、こっちはC1で向こうはC2。実際は教えてもらっていたのだが、挑戦者になった瞬間に教えてあげたと威張ったりする先輩が現れたりする=クボくんごめんね)
(笑)

当時、久保君がいきなり、将棋世界振り飛車講座の連載をはじめた。
まめに文字をこつこつ書くタイプとはとても思えなかったので、無事に続くとは思えなかった。
案の定、締め切りスレスレに。関西会館の棋士室で、駒を並べながら、原稿用紙に向かう姿を何度も見かけた。なぜそこで書いていたかというと、連盟にFAXという便利なものがあったからだ。
そしてその原稿の内容はというと・・・。
普通の57銀左とか、左美濃はもちろん書かれていた。
さらに研究会でよくやってくる、▲48玉型での穴熊に対する急戦を講座で書いていた。さらに調子に乗って▲59玉型の速攻まで、原稿に書いていたので驚いた。
連載も、本人は全然間に合わんなぁとボヤキながらも、無事に終えたようだ。

今ならほとんど驚かないのだが、藤井システムと呼ばれる指しかたのもととなった講座と思う。
藤井さんも、久保くんも、ほかの四間飛車党の小林先生も、杉本六段も、ほかの棋士も、どの指しかたは、誰が先に始めたなんて無益なことは、決して言わない。
それからの、藤井竜王、久保六段をはじめとする四間飛車党の活躍はいうまでもない。

最近会ったのは、棋王戦の本戦トーナメントの準決勝で大阪に来た時。
久保六段の師匠の淡路九段もまじえて、数人で夕食に出かけた。昔とは違って、普及に対する意見とかも聞かせてもらったりもした。
でもその後、たぶんたまにしか会わないであろう一門の弟弟子の奨励会員と、棋士室で10秒将棋を指している姿は5年前と同じ姿に見えた。

ホームページもお持ちの棋王戦主催の共同通信の記者によると、インターネット中継も準備中らしい。
五番勝負は 2月14日に 鹿児島県鹿児島市南日本新聞会館」で始まる。
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