続 「ベン・ハ―」
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>一応解くことができた。
↑昨日の文章に一応という文字がついたのは、どうも釈然としない箇所がひとつあったから。
順位戦で対局中の内藤先生が気分転換に夕方、棋士室に降りて来られた。
「詰将棋、鑑賞させていただきました」
「○○が○○やろ〜」
「はい××が××でした」
「□□が□□やったら正解や。△△を△△ふうに作るのに一番苦労したんや」
内藤先生の話される詰将棋(ベン・ハ―)についてのお話は、私がどの程度まで解いているか見透かしておられるかのようだった。
…ということで、やはり昨日と同じ場所で考える。
それから約30分〜40分ほど経過。
昨日釈然としなかった箇所が、ようやくすっきりとした。
注 * ↑懸賞形式の問題についての話なので、会話の内容は少し伏せています。
話題性のある詰将棋が発表されたとあって、その後、駒を動かしながら詰まそうとしている人々もいた。具体的な手数とか、解くためのキーワードとなる言葉を大声でしゃべりながら…。
練習将棋中の若手棋士がひとこと。
「まだ問題さえも見ていないので、手数とかを言われるのは、ちょっと…(困ります)」
最もだなぁ〜と思った。
自分が詰将棋についての話をするのは自由なのだが、知らないうちに、まだこれから解く人の楽しみまでをジャマしてしまっていたのだ。
そういうことについての感覚はかなり個人差があるだろうけれども…。
一定の棋力のある棋士や奨励会員には、自力で駒を動かさずに解いてもらいたいと、きっと作者の内藤先生も願っていることだろうと思う。
私は芸術的な、詰将棋は作ることは全くできないが、解くのに必要な棋力は少しばかりはあるので、これからも、作者が苦心して作った芸術作品を、鑑賞するという気持だけは持ち続けていきたいと思っている。
うわさによると、詰パラに本間五段の中篇の力作が出る予定とか…
その作品も楽しみにしている。
Copyright (c) 2001 Kenji Kanzaki