スケジュール調整する仕事の大変さ

棋士のスケジュールは忙しい棋士がある程度いろんな棋戦で勝ち続けても、大丈夫なようにおおまかなスケジュールが決まっている。
そのうちのいくつかは、タイトル戦やテレビ棋戦の収録など、動かしようがないものも多く含まれている。

棋士それぞれにはマネージャーはいないので、手合い課というお仕事を担当されている職員が調整して予定を決めていく。
自分の日程調整の時に、東京と大阪の手合い係の職員の方々と、メールや電話でやりとりしたが、このお仕事をされている手合い係は、並行して多くの棋士とスケジュール調整をされている。

たとえば、NHK予選で一日に三局消化する7〜8人ぐらいのブロックをひとつ完成させるだけでも、かなりの重労働。対局者の中には、東京、大阪から離れていて、遠くから来る棋士がいて、その棋士の対局は、交通費削減のために、できれば二局セットになるように調整されたり....。
そういう季節に、臨時の会議が複数回なので、あらかじめ決められていたスケジュールや予定も調整しなければいけなくなるので、ここから先は想像なのだが、悲鳴をあげられているのではないかと思っている。

日程調整をされるお仕事の方々だけではなくて、いろんな部署の方々は大変なはず。
会長交代に伴って、免状、大会で使う賞状、多くの書類の形式の変更など、多くの仕事が増え続けているのではないかと想像している。
2〜3週間前、ある部署のかたのうっかりについて、かなりきつめの対応をせざるを得なくて、そうしたのだが、同じことを伝えるのでも、もう少し柔らかく伝えるべきだったかな...と少し反省している。

話は変わって、さっき、少し前の東京の棋譜を並べたくて、棋譜データベースを更新した。
詳細は書かないが、ちょっと、いや、だいぶビックリした。

年配棋士と記録係の会話 【昭和中期版】

昭和中期ぐらいの対局中のある年配棋士と記録係の会話
(対局場所 大阪市阿倍野区北畠 関西本部または、さらにそれ以前の関西本部)

記録係「〇×先生、残り3時間になりました」

年配棋士「時間でなくて分で言ってくれ」


しばらくして.....


記録係 「〇×先生、残り150分になりました」

年配棋士「分でなくて時間で言ってくれ」











さらにしばらくして........


記録係 「〇×先生、残り2時間です。120分になりました。」

年配棋士 「両方言わんでいい。片方にしてくれ」


この会話は確か、私が木下晃七段の記録係をしていた時に、俺が記録係していた時にはこんなことがあったというお話を聞かせていただいたと記憶していたお話。

決して険悪な雰囲気ではなくて、ご年配の棋士もちょっと周囲を笑わせてやれという気持ちでの、古き時代の会話だったのだろうと思う。


長いこと忘れていたのだが、ふと思い出したので ここに書き記しておくこにした。

と金横歩き、ブログ管理者のコメント管理の方針、三浦九段取材動画

田丸九段ブログ 
と金横歩き2月6日の臨時総会の模様を読む
http://tamarunoboru.cocolog-nifty.com/blog/2017/02/post-e295.html

何を読んでいるかというと、本文だけではなくて田丸九段宛へのコメント欄も読ませていただいている。
現在30ぐらいのコメントが表示されている。

推測なので違っていたら申し訳ないのだが、田丸九段が文章を書いてからのコメント投稿数はものすごい数あって、管理者である田丸九段の判断により30ぐらいが表示されているものと想像している。
(もし違っていたらごめんなさい)

ブログなどのコメント欄
その方々の方針はあるとは思うが、
1.管理者判断で表示
2.皆表示
3.コメントできないよう設定
4.コメントの一部または全部に返信もする

大きく分けて四通りあるが
ここのブログは4番だったのだが、現在1番にしています。

2のまま放置されている、棋界関係者の中には、1.の存在や3の存在を知らないのではないか? 
そう感じる、ちょっとご心配なかたも.....。

※1か月前にここに書いたことを再掲載
ブログtwitter お持ちの棋士女流棋士、棋界関係者の皆様へ、用心と停止の勧め

一度、些細なことを大げさに書かれてしまうと、かなり削除が難しい
(難しいというよりは、不可能に近くて、待ったなしのうえに、部分的に切り取られたり、言葉を付け加えたりされて、何度も何度も再生されてしまうこともあり)
こと、お伝えいたします。
あまり、自信のない棋士女流棋士、棋界関係者は、発信を特に気を付けられること、発信を停止することをお勧めいたします。

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7日の三浦九段インタビュー記事の後に、三浦九段会見動画も拝見した。

被害者なのに、加害者にも、取材記者にも、とても気を遣われていた会見で、棋士のなかでも同じ状況に置かれた時に、あそこまでできる棋士は果たしてほかにいるのだろうか?

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追記

田丸九段のブログコメントの常連のかたに、あちらのコメントの管理方法についてここのコメントにて、お知らせいただきました。ありがとうございました。
あちらでのコメントも貴重なご意見として読ませていただきます。
ここに公開してもまったく問題はないのですが、追記とさせていただきました。
9日13時

『iRONNA編集部』 三浦九段インタビュー

「どうしても言いたいことがある」 三浦九段が初めて語った騒動の内幕
『iRONNA編集部』 http://ironna.jp/article/5686 を読ませていただいた。

 1か月ぐらい前だったか、三浦九段と親しいある棋士が、
「三浦九段はきっとこういうことを望んでいると思う」
と言っていたことを思い出した。
 その時に、その棋士が(こうじゃないかと思う)と、推測したことに近いことを、ご本人も今回語られていた。

また、しばらくしてから、何度も繰り返して読ませていただくつもりだ。

「日本将棋連盟京都府支部連合会」ホームページ開設のお知らせ

日本将棋連盟京都府支部連合会」ホームページ開設のお知らせ
http://ganchansyougi.blog72.fc2.com/blog-entry-3199.html

日本将棋連盟京都府支部連合会」ホームページ
http://www.eonet.ne.jp/~shogikyotohusibu/information.html

天龍寺の庭。
とても京都らしいトップページのデザイン

設立10周年の、日本将棋連盟京都府支部連合会様、支部連合会 会長 小野巖様
開設おめでとうございます。

第21期十段戦 第3局


第21期十段戦 第3局
昭和57年11月25・26日
京都センチュリーホテル
加藤一二三・十段―中原誠王座
立会人 灘蓮照九段 記録係 神崎健二・二段
撮影(おそらく)中野英伴カメラマン

この記録係の少し後に、パネルにしたものを、購入したか、いただいた。
タイトル戦の記録係は10回前後だが、師匠が立会人で弟子が記録係というのは、私はこの時が最初で最後。

師弟が並んだ写真ということと、中原―加藤戦の矢倉戦ということもあり、このパネルは貴重な宝物である。
(フランス料理のディナーの前夜祭の後に、師匠に『神崎、まだ食べれるやろ!』と、声かけられて、ラーメン屋に師弟で行ったことは、もしかしたら過去にも書いているかもしれない)