増川歴史アドバイザーの講習会

18日(木)は
文化庁地域伝統文化総合活性化事業「女性将棋指導者育成事業」教養講座。

講師は将棋歴史アドバイザーで、遊戯史学会会長で、大英博物館リーディングルームのメンバーで、将棋博物館(現在は閉館)元顧問でもあった増川宏一さん。

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午前中は「世界のゲームと日本の将棋」
午後には「ゲームの変化と日本の将棋」
男性棋士の受講も理事からもすすめられていたので参加。
増川さんの著書「将棋の駒はなぜ40枚か」などを参考書として持参。

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中央アジア、現在のウズベキスタンサマルカンド近郊で発見された象牙の出土駒は、チェス史研究家たちの間でも、20世紀最大の発見と言われている。
その貴重な1340年前の駒のレプリカを持参していただいて見せてもらった。
「一ミリの違いもないこの大きさのものが出土しました」

(ほほう。これがもしかしたら将棋の御先祖さんかもしれないのか。)

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国内では、1993年に奈良の興福寺の井戸から出た最古の出土駒が最も貴重なものというお話も。
講義に参加していた久保棋王・王将の
「日本の将棋が成ることができるようになったのはいつ頃でしょうか?」
という質問にも、その興福寺から出土の木簡に書かれた駒の裏にも「金之」や「金也」などと書かれていたことを例に「成る」というルールがかなり初期からあったのではないかと推測されることなども、丁寧に説明していただいた。

盤の升目に近いお歳のはずだが、盤上遊戯の歴史のお話をされる姿は生き生きとされていて、とても若々しく見えた。

また、今回の講義には直接は関係ないのですが、と前置きされて以前博物館に展示されていたこともある『資料大橋家文書(五)―「酒乱の戒め」』増川さん解読の貴重な資料も頂戴した。

午前の講義の冒頭と午後の講義の締めくくりには、以下のような話をされた。
「将棋は文化史の観点から分類すると遊戯に分類されます。まあ遊びということですね。」
「でも皆さんは多少の形の違いはあっても将棋をご職業としておられます。将棋という伝統を引き継がれて後の人々に伝えるということはとても大事なことです。ぜひよろしくお願いいたします」
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