沈んだ文章

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茶店にて週刊文春最新号を見つける。
いつも読んでいるとは限らないが、時々読んでいる
先崎八段の「浮いたり沈んだり」から、さっそく読む。

でも内容を読んでがっかり。
ほかのところにも原稿依頼をされて、そこと文春との文字数が同じなので肝心なことは、そっちに書いてしまったということがウダウダと書かれていた。
そして、その文春のほうは、何の内容もない文章のように見えた。

私は週刊誌に文章を書いたことはないし、そういう業界の執筆者とか編集者の常識等はまるで知らない。
そういうほかからの依頼のことをそのまま書くということは仁義に反することではないのだろうか?
またそういう文章をそのまま載せるという編集者の見識にも、かなり不思議で意外な気がした。

最近も将棋世界に書いた竜王戦最終局の「一歩竜王」が
ペンクラブ大賞の観戦記部門でも賞を取ったりで、先崎八段の文章に対するファンはとてもたくさんいると思う。

でも、文春の以前の文章を拝見していても、少ししんどそうに書いているように感じることは、前からあった。
週一回あれだけの量を書くということは、恐らく周囲が見ている以上に大変なことなのだろうとは思う。
たとえ、回数が減ってでも、以前のような読者が読んでいて、とても楽しい文章を維持していってもらいたいと思う。

でも、文章というものの感想などは千差万別なので、私だけが上記のように感じていて、ほとんどの人は、たまにはああいう文章もなかなか面白いと感じているのかもしれない…けれど。
Copyright (c) 2001 Kenji Kanzaki