千日手というものについて

104502
夕方少し連盟へ。
名人戦の記録係が戻ってきていて、千日手局の棋譜をどうするかということを、
担当の係に聞いている。新聞に載ったところまでと同じまま、そのまま提出ということになったそうだ。
あれだけ少ない駒の往復でも、現行の千日手の「同一局面四回」というのには、同一局面という言葉の中に、手番というものも含まれているのでかなり大変だ。

たとえば封じ手の△3三角の局面と一見同じに見える局面に、何手か先の▲2九飛までの局面というのがあるが、手番が違うので、同一局面には含まれない。

今回の立会人が両対局者の合意を取って千日手を成立させたというのは、そういう点では、的確な裁定だったような気がする。

記録係の話を聞くと、どうやら同一局面の出現は3回にも達していないような気がするとのこと。
昨日も何人かの奨励会有段者と、衛星放送を見てはいたのだが、みんな口をそろえて、こういう複雑な千日手模様の記録を取っていて、どこで何回目とか聞かれるのはいやとは言っていた。私ももし記録係だとしたらいやだ。

ふだん棋譜を見ていると、戦いがはじまる前の千日手では、両対局者の両方にその千日手の意思があれば、わかりやすく同一局面を四回出現させるという、暗黙の了解の手順が、多いような気はする。

また、私の聞いた話によると、次局の第4局は丸山名人の先手となる予定だそうだ。これもまた、名人戦の対局規定によるルールというのが存在するので、それに従って決定されるのは当然。

それが公平か不公平かとか、現状の千日手のルールがいいのかどうかということについては、これを機会に少しは話題になるような予感がする。
Copyright (c) 2001 Kenji Kanzaki