神崎1級の日記

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日記というものを読んでいて、感動したのは、なんといっても故山田道美先生の日記である。棋士になっても、食べるのに苦労した時代の話で、病気で体調が悪い話とか、無双という古典詰め将棋の何番がなかなか解けないとか、書かれていた。

部屋の整理していると、高校生の時の自分の日記がでてきた。

これは、阿倍野区の旧連盟で昇降級リーグ4組の小阪ー脇戦の相穴熊の将棋の記録係を深夜までした翌日のもの。

昭和55年6月25日 曇  
 幸か不幸か6時JUSTに目が覚めた。再びフトンをかぶって眠ろうかと思ったことは思ったが眠れそうな気がしない。だから和歌山行きの始発に間に合うので顔だけ洗って鶴ヶ丘から帰った。電車の中ではまたもや眠れなかった。生活が不規則変化するので不眠症になってしまったのだろうか。とにかく8時に自宅へ帰ってきた。当てられていた数学の問題だけをやって登校した。数学の時は内職をしていたのでさほどではなかったが化学の時は恐ろしく眠かった。大口を開けて「アーア」とやったものだからK良やY田ににらまれた。授業終了後S田やO津にも言われた。6限の水泳は50mのタイムを測った。自分でも得意と思っているクロールで44秒という数字を出した。3年生の早い子で37〜6秒だからそれを目標にしたい。家に帰ってきてから将棋マガジンを10冊持って築地の道場へ行った。やはり昨晩のことで睡眠不足なのですぐに家に戻って昼寝をした。7時半になったし起きようかと思って夕食をすました。ところがテレビと時計を見てびっくりした。もう8時半である。野球観戦、入浴としているうちに何もせずに寝てしまった。記録係の次の日はこれだから困る。
(原文のまま・誤字みつけたけど直さず)

たぶんこのときは高2
この頃自分の段級を調べてみたら、この1ヶ月後に若アユ選抜戦で神崎1級ー井上2級の香落ちの棋譜(下手のイビアナを姿焼きにした快心の一局)があった。

こんなところで、へたくそな字の日記載せられているとは夢にも思っていないだろうから、神崎1級もさぞびっくりしているだろうなぁ。(笑)
神崎健二(c)