活字なみの配慮と覚悟の必要

9日に「影響」というタイトルで心配していることについて少し書いた。同様のことを憂慮されているのは私だけではないようだった。
昨日の13日に書かれた女流棋士独立関連で書かれていることを複数の場所で読む。
ますます心配になってきた。
論旨が正しくとも表現方法を慎重にしなければ、読まれた人に与えるイメージダウン面もとても大きい。品格とか信頼とか秩序というものもだんだんと失われていく。書く側はそういうことも理解されて書かれているとは思うのだが、これからも、ずうっとこういうことが続くのだろうか。

新聞記者はじめ活字の世界で仕事をされている方々は、書いたことが永久に残るというその活字の重みということをとても強く意識されて、お仕事をされている。
重要な問題や関心のある話題について、責任ある立場の人、有名人らがネット内で発した言葉についても活字として引用されることもとても多い。ネットに書く文章も活字並の思慮や配慮が必要になってきている。
こう言った、いやこう言っていない、実はこういう表現だったということで、延々と足の引っ張り合いのようなことを、ネットでも言い合いを続けてばかりでは、ますます悪化するばかりだ。
当事者や双方の立場をかなり理解できる中立的な人を入れて直接何度も話し合ったり調整することでしか解決できないのではないか?
会長・女流棋士棋士
みんなで今から1〜2か月間ほど、ネットでの個人としての日記やブログを休むべきだと思う。
休む必要のない人が圧倒的大多数ではあるが、どの表現がおかしいとか、これがおかしいとか言い合うことになるのならば、みんなで休みませんか?不適切な表現で書いて、その書いたことに責任を持てない人は特に長期間休みませんか?
ネットの文章からの引用によって構成される、活字による記事の登場もそろそろ近いのかもしれない。
【平成19年 3月14日 午後2時 記】
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