「連盟」

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次は、ある先輩棋士のおひとりから。

「観戦記の情報をああやって並べておくというアイディアはなかなかいいですね。あれを見て(好きな棋士の)観戦記読むために、新聞買ってくれる人もいるかもしれないし…」
同業者からの直接のお話だけに、とても嬉しかった。
「本来ならば連盟がすべきことなのに…」と先輩は続けられた。
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短い会話を終えてから考えてみた。

この「本来ならば連盟が」という表現、私も何度か使ったことがあるかもしれない。
いや、まちがいなく何度も使った。
では、「連盟」とはどういったものなのだろうか?

棋士によって、それぞれのファンによって、感じかたがかなり違う。違うのが当たり前という言葉でもある。
私自身にとっても、20年前、10年前、3年前、そして今とでは「連盟」という言葉についての意識(認識)が変わってきている。

観戦記情報については、記者のかたがたにも協力していただき情報を教えていただいたり、連盟に配達される新聞をチェックしたり、ほかにもいろいろな方法で、調べることはできる。私には、今となっては苦にならない作業。
自分が考えついたことなのだから、自分で試してみている。ずうっと続けてゆきたい。

HPに大勢来ていただいている大きな理由のひとつには「連盟」に所属する「棋士」だからということもかなり自覚している。

以前「連盟」がこうすべきということをここに書いた時に、
「周囲から見ればあなたも『連盟』の一員の棋士なのに矛盾しているように見えますが…」というご指摘のメールをいただいたこともある。
確かにそう見えるのも、もっともだ。

ここに書いたり、世界の自分のコーナーの文中にも書いた話なのだが、
「連盟の看板が大きい。その事を全員に知ってほしい。連盟がなかったら、ただの将棋の強い人や。」と、
長く理事を勤められた故伊達康夫先生はインタビューでそう答えられていた。
もちろんご本人にも何度もそのお話を聞かせていただいた。

日本将棋連盟」理事への立候補用紙を届けてから約1か月。
改めてその言葉を思い出す。

Copyright (C) 2003 Kenji Kanzaki
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