スポニチ紙 将棋解説者

解散後、梅田で大西記者とさらにもう一軒。
残り時間(最終電車)はこっちのほうがたくさん残っていたのにもかかわらず、大西記者が持ち時間を使い切られて、こちらだけが、残り一分という状況で解散。
そして、勘定も持ってもらいまた、恐縮。
お詫びを申し上げると、「伊達さんには将棋のルールも知らない頃からいろいろと世話になったからなぁ〜」と、スポーツニッポン紙に「王将戦」が移った直後の話を例にあげられてしまって(特に関係ないような気がしたんだけれども…)
でも、伊達先生が、自宅や連盟の一室で、新聞記者にアマ棋戦から王将リーグに至るまで、とてもていねいに、大西記者はじめ歴代将棋担当記者に解説されていた姿も思い出す。
やはり、亡くなられてしまっても、いまだに間接的に伊達先生にはお世話になっているんだなぁ〜と感じながら最終で帰宅。

大西記者とは、こうやってゆっくりとお話をするのは、伊達先生のご自宅での
「伊達研究会」の夕食の場以来で、十数年ぶりなのだが、
「神崎さんもずいぶんとしっかりとしたことを話されるようになったねぇ〜」
と言われたので、調子に乗って
現在の大阪スポニチに載っている、古い棋譜に対しての意見などを少し聞いていただいた。
東西のスポニチの掲載日数の違いとか、掲載のための調整のわずらわしさとか、その他新聞社側の事情や、棋譜掲載権は新聞社が持っていることも含めてほとんど理解はしてはいるものの、そのうえでさらに、
やはり挑戦者も決定したのにもかかわらず、現在二次予選の一回戦が載っているという現状は、新聞社さんにとってとてももったいない「商品」の使い方と私はいつも感じている。
どなたか、王将経験者とか、連盟内有力者が新聞社さんに「お願い」とか「要望書」を出していただいて欲しいものだ。

話が前後するが、何紙か読んでみて、
「平成元年から4年まで常務理事。5年から1年、理事会参与。元年引退し、本紙の将棋解説や普及に努めた」と写真入りで訃報を報道されていたのは、やはり大阪スポニチ紙だった。
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