東西の塾生を経験された先輩

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将棋世界」6月号読む。
武市先輩の 四段昇段の一局「私の青春時代」とても良かった。

武市六段は私のような後輩にもやさしい言葉づかいで話しかけてくれるとても穏やかな先輩。
東京と大阪の将棋連盟の両方で塾生という住み込みの雑用係を経験された話とかが、内輪のことで知っている話もあるため、とても良かった。

私の中学生の時、今の関西将棋会館の前の阿倍野区北畠の連盟の台所の柱には
なぜかマジックで小さく
「武市」と書かれていた。
当時は、何のことかはわからなかったが、しばらくしてそれが関東にいる奨励会三段の先輩の名前であったことに気がつく。その横に何か座右の銘のような言葉も書かれていたはずなのだがそっちのほうは忘れてしまった。もう建物もないのでそれはわからないまま。

世界の原稿読んでみて、武市先輩が関西での住み込み塾生時代に、角田先生や北村秀治郎先生らと、麻雀の合間に書かれたものと勝手に推理している。

武市六段は、数日前にも、大平新四段のデビュー戦にて先輩の貫禄を示されていたようだ。

その原稿の終わりには、武市新四段誕生当時の昭和56年10月の東西の奨励会員の成績も掲載されていた。
神崎初段(17歳)は5勝1敗と好調のようだった。
関西の三段から3級までの26人中、棋士になれた人11人というのは、かなり高い率で、現在の関西将棋界の中核となっている。
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