肩書きと看板

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肩書きというものについて少し考えてみた。
なぜならば、自分の肩書きが少し変わったから…。

半年ほど前、ある雑誌に文章を書くことを依頼された。
「六段 神崎健二」と署名をつけたら
「うちの雑誌は棋士でも、段位を書かないことが通例ですので、段位は省いておきます。」と言われた。

でも、雑誌に私が文章を書くことを、向こうが依頼しているのは、文章を書く人が棋士であるからだと思うし、内容も将棋に関係あることばかり書いていたので、通例を曲げてもらって、段位も入れてもらった。原稿料もらったわけでもないので強気に出た。(笑)
その判断は今でも決して間違ってはいなかったと思っている。

その雑誌の最新号にも、私の後輩棋士が、一生懸命文章を書いている。
文字がいっぱいで、まじめに一生懸命書いた文章はとても良かった。
本人が、段位を載せないでくださいとでも希望しない限り、やはり棋士の横には段位がないのは不自然に感じる。

ただし、職業とは関係なく、趣味とかプライベートとかいうことの時は、肩書きはないほうが自然かな?

私が一時期師事した伊達康夫先生は、世界のインタビューの時に、こうおっしゃっている。
「連盟の看板が大きい。その事を全員に知ってほしい。連盟がなかったら、ただの将棋の強い人や。」

私がホームページを作って約9ヶ月、予想をはるかに超える、多くの人に来ていただいている。決して肩書きや看板とも無関係ではないだろう。

趣味や、個人的な考えとかも発信してはいるが、そのインタビュー記事のようなことも、常に注意してゆく義務もあるとも思っている。
でも、棋士の中には、私とは少し違った考えの人もいるのかもしれない。
Copyright (c) 2001 Kenji Kanzaki