落款(らっかん)

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私が使っている落款(色紙等書いた時に名前の下に押す印のこと)には思い出がある。
ある日、印鑑業、立派なはんこ屋をされている和歌山の海南の知人に依頼した。
それからかなり経って、立派な落款を渡された。
「待たせたなぁ。わしが自分で彫ろうかとも思たんやけども、棋士が持つ落款やから立派な人に彫ってもらおうと思ってなぁ。偉い人に彫ってもらったんやでぇー」

ご自身が彫られてもとても立派な印だったはずなのに、別の人に頼まれるとは私には予想外だった。代金は?と聞いたものの、受けとってはくれない。どれほどの値段のものかもいまだにわからないまま。そのように気前のいい人だった。

それから、2、3年後…
今住んでいる所の近所のはんこ屋さんに次は関防印(色紙の右上に押す印)を依頼した。
海南の知人に頼んでは、またしても代金を取ってくれないと思ったから…。
近所のはんこ屋さんは「バランスもあるんで落款も見せてもらえますか?」
見てもらった。
「ははぁ。これはこれは。私がこの店を構えるまで修行した私の師匠の彫られた印ですねぇ〜」
師匠の落款と対になる関防印とあって、その近所のはんこ屋さんも、力を入れて立派な関防印を彫っていただいた。巡りめぐった縁である。
なお、最近この方は、私の銀河戦の対局の放送を偶然見てくれたらしい。

どうやら私にはもったいないほどの落款を、用意していただいたみたいだ。

その海南の知人には、ほんとうに小さい時からいろいろとよくしていただいた。
師匠の灘とは私が生まれる10年以上も前から親交があり、師匠が死ぬまで30年近くの、とても長い付き合いのあったかただ。
師匠の死後もぬしのいなくなった和歌山の師匠の道場の維持に骨折っていただいたり、将棋に関するいろいろなことへの惜しみない協力…。
大会の審判や、指導等に呼んでいただいたことも何度も…。
会うたびに、師匠の灘との思い出話をされるのが楽しみのようで、その話の中には
花村先生や大山先生や板谷先生も時々登場された。

知人という少し失礼かもしれない書き方はしているけれども、80代後半のご年配のかた(だった)。

私に師匠の昔話をしてくれることは残念ながらもう二度とない。
が、今ごろは灘の近くへ行かれて、久しぶりにふたりで一緒に飲みながら笑っていることだろうと思う。
Copyright (c) 2001 Kenji Kanzaki