隠したままのほうがいいこと

40020
「聖の青春」を見た。
1ヶ所だけ、この部分はドラマの映像にしてほしくないなぁと思った部分がある。
(ビッグコミックの連載もその部分は、ストーリーからはずされていたはず。)
村山君が、一度奨励会に受かったのにもかかわらず、有力棋士(大崎善生さんの書いた本の中では実名も書かれていた)が猛反対して、受かっているはずの試験を落としたということになっている。
その部分である。

当時者の村山くんも、その入会に反対したということにされている棋士も死んでしまってもういないから真相は一部の人しか知らないことだろうと思う。
もちろん私も知らない。
その棋士がたぶんひどいことをしたのかもしれない。
でも、そうだとしてもそのことをほじくり返して活字やドラマにする必要はまるでないのでは?

村山くんのご家族にも、森信雄さんにも、大崎さんにも、聞きたい。
その、入会に反対した棋士というのがもうこの世にいないからといって、ドラマで悪役にしてしまっていいのだろうか?
もし、まだ生きていたら同じようなことはとてもできなかったはず。

だからドラマの中の言葉でいえば「みんなひきょうだ」

村山くんとは、同じ日に棋士になったこともあって、何度もいろんな話をした。でも、本人はその一度受かった奨励会をもう一度受験した悔しさについて語ることは一回もなかった。そのことはとても偉かったと思う。
活字や、ドラマになることを村山くん自身は望んではいない。周囲がしただけ。
村山くんは自分が死んだことさえ周囲に隠しておいてほしいと言ってたはずなのに・・・

ドラマにめしやや、実際に住んでいたアパートの外観が出たり、どの役者さんも見事な演技だったり、ほかの部分は予想よりはるかに良かったのだが・・・。

もっとも映像にしてほしくない部分を映像にされてしまったことだけが、とても、とても残念だ。
「このドラマは事実にもとづいたフィクションである」というような字幕が最後に出ていたのも、いろんなふうに取れる便利な言葉だとも思った。

書こうかどうかは、迷ったのだが、大崎さんの本を読んでいない人には何かわからないだろうから、付記しておく。
ドラマの原作の本によると、その入会に反対したとされている棋士は、私の師匠である。

村山くんは今でも大好きなのだが・・・・・・・
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