関西所属棋士の歴史そのもの

<a HREF="http://www.asahi.com/obituaries/update/1207/OSK200912070076.html" target="_blank">将棋観戦記者池崎和記さん死去【asahi.com】</a>

池崎さんの一番最後の観戦記か、またはそのひとつ前。
「圭」記者として竜王戦観戦記を関西将棋会館で担当されていた時のことをまず思い出す。
久保棋王の対局だった。感想戦で対局者に変化を質問してメモを取られているのだが、その質問の声がとてもかすれていてとても痛々しかった。

池崎和記さんについてはとても多くの思い出がある。あまりにも多すぎて書ききれない。私と同年代や先輩、少し後輩の関西棋士も皆同様だろうと思う。
最初にお話をしたのは私が奨励会員の時。
福島の関西将棋会館近くにアパートを捜していた。当時はまだ、近代将棋の若獅子戦だけしか書いていなかった池崎さんが、なぜか関西将棋会館にいて「捜すの手伝ってあげましょうか?」
頼りない田舎の少年が小さな四畳半のアパートを見つけるのに、とても心強くとても感謝している。

私が四段となって棋士となった時に、村山聖新四段と、そのアパートの隣の公園で、池崎さんに取材して写真を撮ってもらったことなども連鎖して思い出す。その写真は今でも村山聖九段実戦集で使用していただいている。

関東の棋士とも深い付き合いをされていて、ある関東の高段棋士と池崎さんが飲んだ時に「関西の棋士はだらしないと話していた」と、とても残念そうに、また我々を激励するかのように話されていたこともあった。
また、「新しい若い観戦記者がもっとドンドンと増えてほしい」ということも話されていたこともあった。

池崎さんの観戦記や取材記事約25〜30年間の歴史は、関西将棋会館完成後の関西所属の棋士の歴史そのものだった。

これから伸びる可能性の高い若手も少しずつ増えてきて、いろんな取材をされたり、いろんな観戦記をまだまだ書かれたかったはず。
58歳という若さで亡くなられたことは、とても残念でならない。
池崎和記さんのご冥福をお祈りいたします。
Copyright (C) 2009 Kenji Kanzaki