「入玉」〜将棋のルールが変貌する瞬間〜

最近、知り合いの多くのゲームにとても精通しておられていて、ゲームの歴史にもとても詳しいあるかたから、
「現代小将棋(つまり日本将棋)の問題点は、入玉規定ですかね?」と聞かれた。

最初は、あれ?と思った。入玉規定がわれわれの対局で問題となることはかなり少ない。それよりもむしろ千日手のことのほうが話題になることが多い。

その後しばらく考えてみる。

将棋の目的は、相手よりも一手でも早く玉を詰ますことである。
ぎりぎりの一手違いは指していてもスリリングで、見ていてもとても面白い。
そのためには、序盤、中盤で必要だった、飛車や角という大駒を捨てるという妙手も飛び出る。
ところが、玉を詰ます技術以外に、玉を詰まされないようにするという技術も存在する。敵陣の三段目では、たったの二手で歩がと金になる。強力な守備駒をドンドンと増やすことができるのだから、成駒に囲まれた敵陣というのは玉にとってはユートピアである。

詰ますために、大駒を捨てることもいとわずに戦ってきても、どちらの玉も中段の五段目ぐらいに逃げ込むことになったら、突然ルールが変わってしまう。
相手玉を詰ますのが目的でなくて、駒の取り合いが始まるのである。
サッカーでのPK戦とか、最終ラウンドまで戦ったボクシングの判定とはまた違った決着方法である。
われわれは、そのルールで長年やってきているのだが、確かにおかしいといえばおかしいともいえる。

「玉が敵陣の三段目(または、二段目?四段目?)にはいってはいけない」
「特定の升目に玉が達すれば勝ち」
「玉が三段目にはいった瞬間から、ほかの駒は一段目でないと成れないようにする」
これが、決定版という良い方法はなかなか浮かばない。
どのルールにしてみても、現行のルールよりますます将棋本来の目的から離れてしまうかもしれない。

自分が棋士をやっている間、もしくはずうっとこれからもルールが変わることはないかもしれない。
でも、たとえ変わることがなくとも、「将棋」ゲームの本質や目的については、これからも時々考えてゆきたいと思う。
Copyright (C) 2006 Kenji Kanzaki<A Href=http://wakayama.cool.ne.jp/k2rokudan/ Target=_blank>HPはこちら</A>