感覚と適応能力

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かなり前、何年も前福崎八段のお宅に何人かでお邪魔した時のこと。
練習将棋の勝ち抜き戦で教えていただく。
でも、草書体の駒で「金将」と「銀将」との区別がつきにくい立派な黄楊の駒だった。
「金と銀の区別つきにくいですねぇ〜」誰かが言う。
「こういうわかりにくい駒で練習しといたら、本番では見やすい駒で実力が発揮できるからかえってええやん」と福崎さん。
冗談なのか、まじめなのかはさっぱりわからなかったが、駒が見にくくてもどこにどの駒があるかが、ふだんの経験と感覚で身についているはずだから、棋士はそういうこととは関係なく指すこことができるというような「感覚派」の福崎八段らしい説だとはその時思った。

本日久々にモノポリーの例会に参加。
大会で使われるボードが、ドル表示から円表示に変わり、さらに地名もボードウォークが銀座に、パークプレースが梅田に変わるというボードで何ゲームかプレイ。
地名やお金の単位が代わるだけで実質はすべて今までと同じ。
久々のゲームで、それでなかってもうっかりやいのだが、そのデノミ(?)の別地名のボードで悪戦苦闘。
自分はなかなか環境適応能力が低いのではないかと自己嫌悪に陥るほど、負けてばかり。

所司六段は本職の将棋以外にも、チェス、マックルック(タイの将棋だったかな??)
象棋チャンギと5種の将棋を五面指しで指すことができるとか…。
なぜか本日、別のボードゲームをした時に、いろんな将棋に似たゲームもいろいろと指すことができる所司さんもすごいんだろうなぁと感心してしまった。

モノポリーの大会のように、公式戦の将棋の駒が立体的なチェスの駒にいきなり変わったりしたら、たぶん私は適応できずに勝率を下げるはずだから、決してそうならないことを祈るのみだ。
Copyright (c) 2002 Kenji Kanzaki