趣味と実益と「芸術」

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たぶん私は、美術、音楽というような世界で、あまり芸術作品を見てじっくりと鑑賞するということはかなり、少ないほうだと思う。
これから増えるかもしれないけれども…。

奨励会時代、手数の長い詰将棋を解いていた時、兄弟子筋の元奨励会の先輩のかたに、
「神崎くんはいいなぁ。趣味と実益を兼ねてて…」と言われた。

詰将棋創作というのも、かなりのレベルに達してくると、立派な芸術。
昨日解いた問題は、芸術だと思った。
その問題の作者は、過去に「四銀詰」という作品で塚田賞と看寿賞というその世界で最も歴史と権威のある賞を同時に受賞されていた作家だったと記憶している。

内藤九段も、「我々プロが将棋を指すのと違って、アマである詰将棋作家が大作を作るということは、一円にもならんかもしれんことに、ものすごい時間をかけるのやからすごいことや」とよくおっしゃられている。
でもその内藤先生ご自身も、趣味(?)である詰将棋創作に、かなりの時間をかけられている。
内藤九段の攻め方実戦初形という大作が発表された時も、なんとか解答が発表されるまでに解こうと思って一生懸命解いた記憶がある。(理由は↓に)

この芸術は、ほかの芸術とは違う要素も少しある。
作者の意図でもある、実際に解いて作品を鑑賞してもらうということには、棋力と労力が伴うということだ。
もちろん解答を見て並べるという方法でも、じゅうぶん鑑賞はできる。
多くの人には、この方法をおすすめしたい。

でも長時間かけて、試行錯誤して作った作者は、ある程度の棋力のある人には、ぜひとも作るのにかけた時間の何分の一か何十分の一かの時間をかけて、試行錯誤して解いてもらいたいと願っているはずだ。
私には、棋力が多少あり(笑)、解くことによる実益もともなう(ヨミの訓練になる)のだからそれらしい大作と時間とがあれば、時々解いて鑑賞したいとは思う。

その芸術と思った作のとなりに、もうひとつまた大作家の芸術があるみたいだ。
見たところさらに労力が伴いそうだ。まだまるっきり手をつけてはいないのだが、解答が発表されるまでに、鑑賞できればしたいなぁ。
果たして無事に鑑賞できるかなぁ?
Copyright (c) 2001 Kenji Kanzaki